自分が正しいと思うことの是非
私は常々『自分自身が正しい』と思うことは悪いことじゃないと思っています。
しかし、『自分が正しいから、(自分が)悪だと思ったものに対しては何をしてもいい」という考えには賛成できません。
まず、ネガティブコメントの定義
記事を書いてアップした時。
コメント欄にネガティブコメントが書かれる時もあるだろうし、はてブでネガティブコメントをつけられることもあるだろう。
私が書く「ネガティブコメント」の定義は「言われた人が不愉快に思ったコメント」とします。*1
どんな記事でも反論されたくない人はいる
「無断リンクして欲しくないんだもん。知らない人に見られるのって不愉快。(私に利益のある人だけ見てよし)」
「言及されて反論される(違う意見を言われる)のは不愉快なんだもん。同意してくれる人だけコメントして」
「何何? いきなり知らない人がやってきて、訳の分からないことごちゃごちゃ言って不愉快だわっ。私が何したって言うの?」
そのごちゃごちゃがネガティブなイメージの言葉で構成された日には不愉快の極み。
「なんであんたにそこまで言われないといけないの?!」
自分が記事に書いた趣旨が捻じ曲げられた(とブログ主が思った)日にゃ、反論記事もあげるし、ブックマーカーも憎むわ。
(ひどいと粘着くんになることもあるが、それはやりすぎ)
その態度自体がまたはてブで叩かれることも多いのだけれど。
でも、それは、当然の心理なのだろう。
彼らは彼らの『常識』と『普通』の世界に暮らしていたのだから。
これに、注釈として『自分に都合のいい』がつきます。
しかし、彼らが正しい訳ではない
叩かれようが何をしようが、自分の意思を貫く。
それはそれでよいと思います。
でも、『自分が絶対的*2に正しいと思うこと』とし、自分を言及(主に反論)した相手を『絶対的な悪として何をしてもいい』と思い、そう実行するのだけはいただけない。
絶対的に正しいものはありえない。
例え『絶対的に正しいもの』があるとしても、それが回りに受け入れられるかどうかも謎なのだ。
その逆の正義もごめんだ
逆に言うなら。
ネット上では非常識とされる行動を繰り返す人を叩く人達がいるとする。
その叩く側が自分を『絶対的正義』だと思うこともいただけない。
その人が叩きたいから叩くだけであり、そこに正義は見出せない。みんなを代表して言っているという考えもあまり受け入れられない。
「みんなそう言ってるもん!」という言葉の愚かさはみなさんご存知のはずだ。
言えるのは『大多数が認める正しいこととされてること』くらいではないだろうか。
そして、それを振りかざしたとしても、何をしてもいいと言うことではない。
勧善懲悪なヒーロー物では正義の味方は悪者を問答無用に倒すけれど、現実世界ではそういう訳にはいかないのである。
この記事は
こんなブログがキライだ―ネガティブな意見は聞きたくない。(2006/08/02)
趣旨のみを抽出して補強・改訂したものです。
所用があって、昔のブログを読み返した時、あーこれこれ、これをこの間書きたかっただと思ったので。