優しくされて当然の人などいない


俺こんな幸せ者だったんだな。


これを読んだ時に思った。
彼が一番幸せなのは自分が幸せだと気づいたことと、感謝の気持ちを持てたこと。
もし、彼が「自分は今可哀想な目にあってるんだから、優しくしてもらって当然だ」と思ってたら、彼は今の幸せをかみ締めることはできなかったと思う。

「優しくしろ」と強要する人


今、私のそばには「優しくしてもらって当然」の人がいる。
彼女は、いつも自分の病歴を持ち出して同情を買おうとする。
私を構って、優しくして、とまとわりつく。
*1
自分は優しくしてもらって当然だと思っているので、毎日は「優しくしてくれない人*2に対しての愚痴や不満」で埋まる。
病気*3であることはかわいそうといえば、かわいそうなんだとは思う。
ただ、それを理由を自分のしたことの免罪符にしたり、優遇させるための手段として使い「続ける」ことはあんまりいいことだと思わない。


俺こんな幸せ者だったんだな。
中の人は周りの人に助けてもらったから、それを足がかりに立ち直っていこうとしている。
しかし、彼女はそういうことは一切しない。
一旦優しくもらった人にヒルのように喰いついて離れず、ただ「優しさ」だけを一方的に吸い出す。
それをずっと続けられる方は、かなりしんどい。
だから、彼女のそばにい続ける人は少ない。
私は一緒の職場なので物理的に離れられないだけだ。
彼女は自分から離れた人を「ひどい人」として「自分はひどいことをされただ」というネタ引っさげて、また他の人に食らいつく。
喰らい疲れた人も最初はかわいそうだと思ってしまう。
彼女が自分の都合のいいように事実を捻じ曲げて、自分を悲劇のヒロインに飾り立てて話をするからだ。
しかし、吸い取られる一方の関係に疲れ……エンドレス。

彼女と出会ってよかったこと。


そんな彼女と出会ったことでよかったこともある。
自分を見直すことができたことだ。


あることから精神的に追い詰められてどうしようもなくなって、一時期精神科に通院していた。
その時の事を振り返ることができた。
私は周りの人からの好意を当然のことだと受け止めていなかっただろうか?
それに甘えるばかりではなかっただろうか?
友達のつもりで他人に喰らい付くヒルでしかなかったりしなかっただろうか?
そう考えるとヒルであったような気がする。
だから離れて行った人もいるんだろうな、と何年も遅れてだが気づくことができた。
当時は自分を哀れむあまり、周りのことが全然見えていなかった。
程度の差はあるのかもしれないが「当時の私」と「彼女」は一緒だ。

もらった「優しさ」はなるべく返したい


今は、自分の都合だけを考えて相手に負荷をかけることは控えようとしているし、何かをしてもらったら、それはちゃんと返そうと思っている。
まずは感謝の意を表することにしている。
一緒に食事をしてもらったら「つきあってくれてありがとう。今日は楽しかった」
話してる内容がだんだん愚痴めいてくることもあるから、その時は「聞いてくれてありがとう」
ほんのささいなことでもなるべく「ありがとう」という言葉を言うようにしている。
*4


過去に離れていった人にも「あの時はありがとう」と言いたい。
勇気がなくて言えていないけれど。

優しくしてもらって当然の人なんていない


「優しくしてもらって当然」という理由は何もないと思っている。
件の彼女なら病気を盾に何かを言いたいのなら、お金を払って病院に行けばいいし、カウンセリングを受ければいいと思う。
そして、愚痴を聞いてもらえばいいと思う。
実際言えば冷たく取られるのは承知。
しかし、誰も彼女に優しくする義務なんて課せられていない。*5

「優しさ」をもらった後どうするか


オフ会に例えてみよう。
人と話すことが苦手な人が参加する。
誰とも話せないで苦痛の時間を送っていた。
しかし、それに気づいた人が話しかけてくれたので楽しいオフを過ごすことができました。
ここで、この人がこれからした方がいいと思うことは「自分を気にかけてくれた人がいた」ということを自分の糧にして少しでもいいから自信をつけて、話しかけてくれた人以外の人にも自分から声をかけてみようと努力することではないだろうか? と思う。
いつのオフに行っても、最初に話しかけてくれた人の横に陣取り、その人相手にしか話をしないことではないと思う。
最初に話しかけてくれた人を介してでもいいし、一歩づつ前に進めばいいと思う。

リアルにもネットにも


周りを見渡せばリアルでもネットで「○○なんだから優しく(自分を優遇する言葉を当てはめてください。手加減しろとか気をつかえとか)してもらって当然」という人はいる。
経験者だからそういう人に目がいきやすいということもある。
同属嫌悪を抱きやすいということもある。
けれど、やっぱり思う。
何を理由にしても「してもらって当然」ということはないんだよ、と。
回りもちょっとした手助けはしてくれると思う。
ちょっとどころではなく、自分を犠牲にして何かしてくれるかもしれない。
友達だから。
でも、それに頼り切ってはいけない、と思う。
もらった「優しさ」を自分の中でどう生かしていけるかでそれからの自分が変わってくると思う。

誰かに優しくしてもらいたいと思う気持ちは悪いことではない。


誰かに優しくして欲しいと思うことは悪いことではないと思う。
ただ誰かにそれを強制はできないということはわかっていて欲しい。
「優しさ」をもらうばかりでは不均衡が増大し、いつか関係が崩れてしまうこともあるのだということも知っておいて欲しいと思う。


増田で友情を「損得勘定」に例えて一部顰蹙を買っていたが、確かに「損得」と例えると冷たい印象がある。
でも、私は友達に損「だけ」をさせる人間にはなりたくないと思う。
こんな私の友人をしていてくれるだけで、彼らには損があるのだ。
その補填ぐらいは精一杯心がけたいと思う。



蛇足


ちなみに私が自分の過去の不幸(だと当時思っていた)部分を語るのを嫌悪するのは、件の彼女のせい。
彼女の所業がとても醜く見えたので、ああはなりたくないという気持ちが私を止める。
冷静に書けるか、ネタとして書くならいいのだが、「こんなに私はかわいそうだった」という論調では書きたくない。

*1:具体例:社内だけでなく携帯メールに直電も駆使。無視すると社内アドレスにメール。それもダメなら内線電話。それがダメなら上司に訴える。○○さんが私を無視します! ……これはネタではありません

*2:彼女基準。ただ普通に接している人のこと

*3:主に精神的なことではあるのだが、会社には通える程度

*4:なので時々「なんでそんなことで感謝されるのかわからない」という表情に出会う

*5:家族には無償の愛を注ぐ義務があるんじゃないかと考えたりはするが、家庭の事情もあるんだろうなぁ