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猫が死にました。
あっけなく短い期間で見る間に衰えていき死にました。
去年の夏、うちの猫たちは夏やせをしました。
ダイエット目的の餌から腎臓ケアのカリカリに変えて太っていたので、痩せてちょうどよかったのだと思いました。
でも、獣医さんに痩せすぎだと言われたので、色んなキャットフードを試して、猫達の体重を増やしました。
だから、その子のお腹が丸くなっていくのはいいことだと思っていたんです。
でも、その丸みが異常に思えて来ました。あまりに張りが強いのです。
太っているにしても何かおかしい。
いや、でも、元気だ。家に帰ると真っ先に迎えに出てくる。ご飯も普段の量食べている。病気な風ではなかっただった。
ほんの一ヶ月前にやった血液検査も正常の範囲内だった。
でも、おかしい。
病院に連れて行きました。
レントゲンを撮りました。
腹水が貯まっていました。
1キロもの腹水が抽出されました。
その時になって思いました。
お腹はふくれていたけれど、足には肉がついていないから、がに股状態になっていたのです。それにきづくべきでした。
それから。
その子は段々元気を無くしていきました。
ご飯も段々食べなくなっていきました。
腹水はそんなにすぐはたまりません。
だから、病院に行っても、何の治療もしてもらえません。
補液を皮下注射するだけです。
ただただ、やせ衰えて行きました。
それまでは医者が処方する療法食を食べさせていました。
その方が身体にいいからです。
でも、そうは言っていられません。
何かを食べさせないといけないからです。
ペットショップに行って興味を引きそうなものを買って来ました。
それでも、少ししか食べてくれません。
食べないので補液を毎日皮下注射します。
毎日。毎日。
それでも、やせ衰えていきます。
とうとう流動食のようなものを針のない注射で飲ませることにしました。
けれども、流動食は美味しくありません。
いやがりました。
無理矢理飲ませようとしても、もう飲み込めなくなっていました。
毎日。毎日。
会社から帰って来るとその子が生きていることを確認します。
くたっとはしていても、それでも、よたよたと私のところによってくるのです。
無理矢理食べさせることは嫌がっても。
側にはいたがりました。
私はロフトベッドから降りて、床に布団を引き、寝ることにしました。
猫と寝るとハウスダストアレルギーでひどい頭痛と微熱に襲われることがわかってから、ロフトベッドで離れて寝ていたのです。
小さい時から一緒に寝ていたうちの子達は寂しがりました。
でも、ひどい頭痛と微熱は仕事に差し支えました。毎日、風邪を引いているような状態が続くのです。
私が元気に働かないことには、うちの子達を養えません。
だから、別々に寝ていました。
でも、少し元気になってくれればと一緒に寝ました。
案の定、頭痛と微熱はぶり返しました。でも、そんなことはどうでもいいのです。


そして、その日はやってきました。


朝、その子の様子がおかしいのです。
よたよた歩いているのです。そして、他の子にこてってよりかかって寝ているのです。
嫌な予感がしました。
会社を休みました。
病院は9時からですが、8時に電話をしました。
病院で検査をしました。
アンモニア濃度が計測不能な程高濃度になっていました。
先生は、酩酊状態になっていると言いました。
どうすればいいのですか?と聞きました。
点滴をしてアンモニア濃度を下げるしかないと先生は言いました。
私は、そうして欲しいと言いました。
けれどもやせ細った身体に針が中々刺さりません。
何カ所も刺しました。毛刈りもしました。
それでも、針は刺さりません。
どうするんですか?
私は聞きました。
どうしようもないと先生は言いました。
もう一度、足の血管に刺して見て、ダメだったら諦めるしかないと言いました。
奇跡的に足に針が刺さりました。
足に注射針を固定して、その子は治療するためのベッド付の檻に運ばれていきました。
先生は、何かあったら電話するからと言いました。
私は、自分の人間の病院に行きました。
そして、先生にありったけの期間の薬を出してもらいました。
治療を続けるには、私は、また毎日その子を病院に連れて行かないといけない。自分の病院に行っている暇がない。今の内に行っておこうと思ったのです。
これから猫の治療のために自分の病院に向かったのです。
その帰りの電車の中、獣医さんから電話が入りました。
今、亡くなりました。
声はすぐ出ませんでした。
引き取りに伺いますと答えました。


病院で、私はどうしてあげればよかったんですか?と聞きました。
出来る限りのことをしてあげたんだと思おうよと、先生は言いました。
先生は、飼い主を責めない人なんだと思いました。
先生から動物の火葬の業者のパンフレットをもらいました。
連絡をしました。
一番、遅い時間に引き取りに来て欲しいと頼みました。
それまで、一緒に寝ることにしました。
そのこの身体は段々固くなっていきました。
他の子達は……よく、状況がわかってないように見えました。
普通にしてました。
私は泣いていました。ずっと、泣いていました。泣き疲れて眠りました。
起きた時寝ていたことを後悔しました。
寝ないでもっと見ていてあげればよかった。


………………。


時は3月でした。
地方都市への異動を言われていたので、動物を飼っていい物件を探していました。
多頭飼いできるところを探しました。
何件もあたりました。
その物件を見に行くつもりでした……。


……………。


私はどうしたらよかったんだろうと今でも思います。
アンモニア濃度が高くて、助かる見込みがないのなら、病院などに預けずに一緒にいてあげるべきだったのだろうか。先生は、瞳孔が開いてきていると言っていたではないか。
でも、それでも、どれだけの確率だろうと助けられる可能性を提示されたら、私は治療をしてもらうことを選んだだろう。
今にして思えば、そんなことは言わない先生だったのかもしれない。
もうもたないから一緒にいてあげた方がいいよ、なんて。
ペットロスカウンセラーは、先生はそう言うべきだったと言っていました。


死んでしまうとわかっていたのなら、ずっと一緒に寝てあげるんだった。
まだまだ生きていると思っていたから、私は自分の身体の大事を取った。


私は……その時になって、うちの猫が相当な高齢猫で老猫だということを認識しました。
私が趣味で飼っていた猫本は20歳以上も生きた猫のものだった。
17歳……確かに、老いてはいると思っていたけれど、まだまだ生きているんだと思っていた。


その子は……検査にも引っかからず元気だったのだ。
尿道結石になりやすい体質だったが、そのせいで療法食しか食べさせなかったから、うちの子達は健康な部類だった。
病院に定期的に通っていたのは、腎臓を悪くした他の子だったのだ。


………………。


私は、早く立ち直らねばと思った。
時は3月末、私は地方都市への異動はなくなり、東京に残ることになった。
しかし、新しい場所で新しい部署だ。
無理を言って東京に残してもらった以上、新しい部署で必要とされる人とならなければいけなかった。
私は、残ったうちの子達を養わなければいけなかったのだ。
腎臓が悪い子もいるので、病院代は相変わらずかかった。
私は、あの子が死んだ日とあの子のお骨を取りに行く日、会社を休んだ。猫のためとは言えず、自分のアレルギーがひどく発症したんだと言った。
前の部署の話で当時の上司に「こんなに休まれては会社員として信用おけない」と言われた。
今になって、思えば、素直に猫のためだと言ってしまえばよかったのかもしれない。
でも、その時は上司も老犬を飼っており、その子も随分と弱々しくなっていると言っていたので、上司の老犬の死を連想させそうで嫌だったのだ。


………………。


新しい部署に行ってみてわかった。
勤め先が遠くなったせいで、診療時間内に動物病院には行けなかった。
新しい部署に行って、すぐ、連日定時で帰るということも難しかった。
毎日が仕事でくたくたに疲れて、自分も世話もままならぬところで病気の猫を抱えて毎日治療に向かうというのは、多分、かなりしんどかったろう。
いつどうなるかわからない不安を抱えて、新しい部署で新しい仕事を覚えて、その部署の人に気に入られようと努力しつづけて、そんな生活を送っていたら、私もダメになっていたんだろうと思う。


ねぇ。
あの子は、だから、長患いをしなかったのかな。
お母さん大変だろうから、僕は逝くね。
そう思った。
そんな考えが頭をよぎる。


そして、私は泣く。


あの子は私のことが大好きだった。
一番の甘えん坊だった。
私のことが大好きだった。ご飯よりも私のことが大好きだった。ご飯を食べている時に名前を呼んでも、ちゃんと私に頭をすりつけにくるのだ。ちょっとめんどくさそうだったけれど。
どれだ、可愛かったか、私に従順だったかは、ハイクにたくさん書いた。


私は他の子を養わなければならなかった。
だから、あの子への哀しみを早々の押しつぶそうとしてしまった。
だから……いまだに私はあの子を失った哀しみから立ち直れないでいる。


ペットロスのことを少しネットで調べた。
哀しい時は哀しいと思った方がいいだそうだ。
その感情を発露することが立ち直る一歩だそうだ。
私は、押しつぶしてしまった。
悲しさを全く表面に出さなかった訳ではない。
ただ、頭の隅においやっていないと仕事ができなかった。
誰にも愚痴も言えなかった。
だって、重いじゃないか。
いきなり、飼い猫が死んだって泣きつかれても困るじゃないか。
親はもっとあてにならなかった。
親は、ずっと猫を捨てろと言い続けていた。悪く言い続けていた。
だから、それはもう言うな、と電話をした。
親はそれでもダメだった。やはり猫を悪く言い続けた。それから数ヶ月親とは連絡を取らなかった。


その時、私は初めて自分が一人で生きて行けるほど強い人間ではないのだと思った。
猫がいれば、一人でも生きていけると思っていた。
でも、猫の死を一人では受け止めきれなかった。
周りの環境が許さなかったから、うまく発露することもできなかった。


今更だが、発露させようと思って、この記事を書いた。


うちの子達は兄弟だ。
同い年だ。
と言うことは……考えたくないけど考えないといけないことだ。
また。
感情を表に出すために記事を書くかもしれない。
書かないかもしれない。