殴ったり殴られたり
1.屈強なブロガーAさんの場合
惨事が起こる予兆はあった。
Aさんが雑踏を歩いていた。
屈強な体を持ったAさんは、自分の体が周りにぶるかることを気にせず、むしろ、ぶつかることを楽しむがごとく、肩で風を切って歩いている。
と、Bさんが目の前にあわられ、にっこり笑いかけてから、がつんがつん*1とAさんを2.3発殴った。Aさんは「痛ぇじゃないか、バカ野郎!!」と怒鳴り散らした。Bさんは何か言っていたようだったが、それを聞かずにかまわず怒鳴り続けた。
その時、後ろからAさんをこづく人がいた。
誰だと振り返るが、すぐ雑踏にまぎれてしまい分からなかった。
そして、振り返って隙にまた背後からこづく奴がいる。
それを振り返ると、またその背後からも何人もがこづいて行った。
血眼になって殴った奴を探していると、今後は肩をつんつんとつつかれた。
それに振り向くと、Cさんが立っていて、にこっと笑ってから、がつんと殴ってきた。それに驚いていると、また一人Dさんが正面に立ち、がつんと殴る。Aさんは「俺が痛くないと思ってるのか!」と泣いてお家に帰った。
人々は驚きました。
Aさんがあまりに屈強な体を持っているので、周りに人にとってはあまり痛いように見えなかったのです。
*2
2.強い体が欲しいと思いながらも、いまいち鍛え切れてないブロガーFさんの場合
つい最近こんなことがあった。
Eさんは、Fさんをぽかぽかと殴る。
なんで殴られるか分からないFさんはきょとんとする。
ぽかぽかは威力がなさそうに見えたので、周りは苦笑を浮かべながら静観しているだけだった。EさんはFさんに会う度に殴るようになった。次第にFさんの無表情に「痛み」を感じ取れるようなったのでEさんを止めることにした。
しかし、Eさんは「これは愛のムチだ!」と叫んで殴るのをやめようとしない。
Eさんがどう思っていようとも、殴られたFさんにとっては、ただ痛いだけなのである。
Eさんは「殴り返せばいいじゃないか」とも言う。
しかし、Fさんは殴り返さない。
だからと言って、痛くない訳ではない。
*3
3.気のいい絵師Hさんの場合
かつてこんなことがあった。
割と細そうな体格の絵師Hさんが、友達をわいわい楽しく話しながら、雑踏を歩いていたら、とある人にぶつかってしまいました。
ぶつかった人Aさんはうっとうしいと思い、Hさんを振り払いました。
AさんとHさんとでは体格差があったため、Hさんはふっとび、鼻血を出してしまいました。
Hさんは「ぶつかってごめんなさい」とぺこぺこ謝ります。
驚いたのは周りにいた友人達です。
「殴ることはないんじゃないですか?」と抗議をする。
しかし、Aさんは笑いながらこう言った。
「おや、殴ったつもりはないですよ。振り払っただけですが?」
なおも同じ動作を続けるAさん。
「うっとうしんだよ」と言いながら。
*4
1に戻る。
痛いと言われたらやめてあげて欲しい
痛いと言われたら殴ることをやめてあげて欲しい。
殴った方が、ちょっとこづいただけであろうと、それが愛のムチだと思おうと、よかれと思おうが、殴ったつもりはなくても、殴られた側にしてみれば痛いものは痛いんです。
だから、自己申告の「痛い」を優先してあげる方がいいと思っています。
*5
ただ。
自分自身に「痛いといわれたのに殴るのをやめなかった過去」がある場合、「痛いからやめてくれ」と言った場合、周りが殴るのをやめてくれる可能性は低くなります。
フォローのようなもの
私が上の例を読んで「クリリンするであろうお二人」が嫌いかというとそうではありません。
私は上に書いた通り「痛いって言っているんだから、殴るのをやめてあげてください」と言うスタンスです。それ以外にどうこうしろとは思いません。
私は二人から殴られたことはないですし、むしろ、片方からはまったく相手にされてません。
そういう相手に負の感情を覚えることはほとんどありません。
なので「あー自分がこんなことを言ってもなぁー」と思いながら、これを書いています。
殴るとか殴られてる判定は、場合はよっては難しい上に、私がすべてを見てきた訳ではないので、関係者、すべての人の心情は測りきれない。
だから、この記事はすべて「私の印象」で作られています。
ともかく。
痛いって言ってるのに殴り続けるのいくない。
ちなみに上での例で嫌いと言えるのは、1の例で殴っておいてすぐ姿をくらまして自分は殴り返されないようにしてる奴である。
追記
ネタだと言われても殴られてる方には関係がない。
痛いものは痛いし、嫌なもの嫌だ。
私は少々殴られても平気な人だし、殴り返したい時はきっちり殴り返す。
しかし、できない人もいる。
殴り返さないからと言って、殴られることを承認している訳ではない。
このエントリのアップは迷うところだったが、某所のはてブコメントを読んでアップすることに決めた。