私もかつてはてブのネガコメは「陰口」だと思ったことがありました。
English training diary - 普通の人にとっては書き逃げだと思います
こちらの方がはてブのネガコメのことでいろいろ悩んでいらっしゃるようです。
以前にも
English training diary - はてなブックマークは日本のブログ界にとって害悪である
をあげています。私はこの記事に
はてブを始めた時に似たような記事書く繊細な人が多いので対処法をヘルプに入れてはどうか?
・返事は記事内でidコールすればできます。
・皆がグルになってネガ米付けてる訳ではない。
・異論は批判や罵倒とは限らない
(見やすい用に改行等変更しました)
というブコメを書いたが、半分ネタで半分本気。
半分ネタにしかならないのは、そういった繊細は人はヘルプを熟読したりしない可能性の方が高く、ヘルプに書いたとしても読まれないことが予想されるからである。
上記記事のような意見に対しては異論反論を唱える私ですが、はてブに関して、ネガティブな気持ちを抱いてしまう気持ちは解ります。
それを自分がはてブを始めた当初書いた記事を絡めて書いてみたいと思います。
はてブを始めた頃の私
はてブを始めて数ヶ月くらいにこんな記事を書きました。
全文は長いのでところどころ引用したものを改変していきます。
この中で、私もid:eigokunと同じく、はてブに返事をする際の敷居の高さを書いています。
『はてブ』で不便だなと思ったのは、
ブクマコメントに疑問を持っても本人に聞くことができないと感じたこと。
「セルクマして返事書く」「はてブをリンクしてブクマに対するエントリをあげる」という方法を知っ
たが、それははてブプロフェッショナルが使う技に見えて、まだまだ自分には使えないなと思っ
てしまった。*1
「はてブで陰口であるか」にYESと応えた後、その理由を実生活の会社に当てはめて書いています。
便宜上、ネガコメを言われた側を「私」にしてあります。
私のまったく知らないBさんが、私の噂をしていたのだ耳に入ってしまった。
たまたま喫煙室の前を通ったら、ちょうど噂をしている現場に出くわしてしまったのである。
B「ふぇざえん、あんなこと言ってるけど違うと思わねぇ?」
ここでいみじくも私は喫煙室に例えていますが、私はタバコを吸わないので喫煙室には行きません。
喫煙室で交流を深めることのない私にとっては喫煙室は全くのアウェイです。
相手は私が聞いていないのをいいことによくない噂をしていると感じる訳です。
Bさんが知らない人であればあるほど、私は反感を持つでしょう。
「何も知らないくせに偉そうに言うな」
さて、その後のシチュエイションとしては。
Bさんがよく知らない人、もしくは知っていてもさほど親しくない人であった場合。
Bさんはぎょっとして、私とBさんの間には気まずい雰囲気が流れる。
Bさんはしどろもどろ弁解するかもしれない。
逆切れするかもしれない。
どっちにしろいい感情は残らないだろう。
では、私が喫煙者で、喫煙室の常連であり、Bさんはよく言葉を交わす人だったらどうでしょう。
B「だって、ふぇざえん、これはこれでこーでしょうが」
私「そうかなぁ?私はこう思うけどなぁ」
内容によっては議論にエスカレートするかもしれないが、ただの会話で済んでしまう訳です。
少なくとも気まずさは生じない。
ここには気心を知れた知り合いであるので、反論があったとしても、話し合いの余地をデフォルトで感じることでできるせいかもしれません。
書き逃げと感じる根拠を推測してみる
English training diary - 普通の人にとっては書き逃げだと思います
「書き逃げ」という感覚も、ネガコメを言った人間が姿を眩ませられることができるという発想からだと推測します。
相手の姿が見えない状態でネガコメぶつけられると暗闇の中で誰かのボカボカ殴られてる気になるのではないでしょうか?
しかし、仕組みを知り、使いこなせるようになってくると状況は違ってきます。
はてブのidコールは最近の導入ですが、前から記事内でidを書くとidトラックバックされますから、相手の姿は捕捉された状態です。
idコールのない時期でもセルクマににidを書いて意見を提示することもできました。
このあたりをクリアすると、自分と相手が同じ地平に立っていて、相手の姿をはっきりと見えてきて、「書き『逃げ』」という感覚は薄くなってくるのではないかと思います。
荒野に一人で立っている訳ではない
自分が一方的に言われてる感を感じる理由を推測してみよう。多分、その人の頭の中はこんな感じ。
図示できれば分かりやすいのだろうが、そういうソフトが手元にないので文章ですいません。
自分ひとりがぽつんと立っている。
遥か向こうに黒い影の集団が立っていて、自分のことをあれこれ言っている。
どうもネガコメらしいし、姿を黒いこともあって威圧的だ。
向こうからの声は聞こえてくるのに、自分の声が小さくて届かない。
自分が一方的に言われるだけだ、こちらからは何もできない。
という状態にあると思ってしまった場合ではないかと。
アウェイ感からネガティブな印象を持ちやすいのだと思う。
なじんでしまい、はてブ全体が見渡せるようになれば、相手の顔も見えてくるし、少なくとも『陰』口とは思いにくくなるし、自分が言ったことが相手に届くことも知っているので、言えない悔しさにくれることもない。
つまり、なじめないうちはそういった感情を抱きやすいようなのだけれど、慣れていけば、段々よさも見えてきて、そして、いつかはよさの方が上回ることがあるよ、ということなのです。
上回らなければやめてしまえばいい訳で。
見通しがよくなれば良さも見えやすい。
でも、いつまでも「はてブは害悪」というフィルターを通してだと、よさは見えにくいと思います。
相手を受け入れようとした時と、あくまで拒絶しかしない場合は『見え方』って違うんですよね。
もちろん、全体が見渡せてもネガな部分はあるでしょう。
ただ、ネガの全くない部分を自分のコントロール下にないインターネット上に求めることは難しい。
だから、自分が使い方を考えるか、せっせとはてなアイデアに投稿するか、多分現状を虚空に避けんでも届かないので、別の自分に可能な手段で対処をした方が建設的だと思います。
そんな感じではてなライフを楽しんでいただければ幸いです。
蛇足
論旨は上で終了ですが、ちと蛇足など。
例外もいます。
自分への反論は微塵たりとも許さないという人もいるので、それは例外にしといてください。
その態度も別に反対はしないので。反論は書くけど。
あと、どういうシチュエイションであろうが全く気にしないモヒモヒな人もいます。
書き逃げしているつもりの人もいるんじゃないかと思います。
ブコメに言及されて、独り言なのになぜ反論すると逆切れする人がたまにいて、こういう人はブコメをブログ主に反論されない安全圏だと思ってネガコメ書いている気がする。*2
もちろん、ブコメを言及する権利も「独り言だ」と主張する権利もあるのですればいいと思う。
(この後にあった文章は後日別途エントリにあげようと思ったので削除します)
以上。
追記:はてブ見たら、削除した内容をクリップした方がいたので、あとで見てわからなくなるといけないので再掲しておきます。↓
ネガであろうがポジであろうが意見が飛び交うのは好ましいと思っています。
私がはてなが好きなのはこの点で。
はてブの存在があるがゆえに「記事に対するコメント率」が高い。
他ブログサービスであれば沈黙に押しつぶされるであろう記事にもコメントがついている。
TBも飛びやすい。
そういう意見の交流の場があるのはいいことだと思う。
これは記事の良し悪しや正誤に関係なく。