人格とは虚像である


うまくまとまらないので簡単に。


人格についていろいろと論じられているようだが、私はその人の人格すべてを知り得ることはむずかしいと思っている。
知り得ることができるのは自分に入ってきた限られた情報のみである。


私はネット上で知りえた情報から対象人物の人格を作り上げて遊んでいる。
もちろん、それは自分の限られた情報から造られた擬似人格であることは十分承知している。
そして、そこの問題はないと考えている。
人が他人を認識する時、多くは「自分にとってどういう人」であるかが重要になってくるからだ。


①自分以外の人にいかに優しくしようが、自分にとって冷たいブクマコメントを投げかける人であれば、自分にとって冷たい人だ。*1


②逆にいくら他人に冷たく厳しいコメントを投げかけようとも、自分に対して暖かいコメントを投げかけてくれれば、自分にとって暖かい心を持った人である。(他の人には冷たいけど、私にとってはいい人、という表現もある)


①②の両者にあなたの考えが間違っているとは言えない。
もちろん、①②の事例ははてブに例えた極端な事例ではあるが、相手を認識する原理としては大体こういうことではないかと思う。


リアルでも同じことは起こる。
相手を見て態度を変える人は少なくない。
同じことをされても、受け取る側によって印象も違う。


誰かの人格を想像する時は、その時点で自分が得た情報で判断してかまわないと思う。
しかし、それは、あくまで自分が作った『人格』であり、その人の『人格すべて』ではないことを認識しておけばいいんじゃないかな。


と、思う。



追記:「人格は虚像である」の補足記事

*1:この場合の自分とは私のことではない